ひとりごつ

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新ごつ] [トップ]

2004年5月1日(土) カレーライス

近所にカレー屋があるんです。ゴールデンウイークと何の関係も無い書き出しでナンですが。
このカレー屋、チェーン店ではないのですが、カウンターに5〜6程度の客席という、いわゆるスタンドカレー店なのです。
こうしたカレー店の場合、普通抱くイメージは、牛丼屋じゃありませんが、「早い」「安い」だと思うんです。「うまい」かどうかは個人の好みによりますが。いわゆるファーストフードですね。とはいえアルバイトがやってるんじゃなくて、店長というかオーナーというかマスターというか、まあ、そういう人がいつも一人でいるだけなんです。

ファーストフードと言えば、同僚がいつもマクドナルドばかり食べているので、
「そんなにマックばっか食ってっとマックになっちまうぞ!」
いやむしろ「なっちまいな!」とルーシー・リューの如く叱責したところ、
マックは「コストパフォーマンスがいい」と反論されたんですね。
彼曰く、牛丼屋とか立ち食いそば屋とかで食べているとブロイラーの気分になると言うのです。その点マックは、ゆったり座れてコーヒー飲みながら本でも読んで長居できる、と言うのです。
なるほど彼の言うことも一理ありますが、それでもあの恐るべき不味さを考えれば、私はむしろ損している気分になります。

そんなことはさておき近所のカレー屋ですが、これがあんまり安くない。
普通のカレーは700円くらいだったかな?諸々トッピング付くと1000円くらいになっちゃう。
じゃあ、すごく美味しいのかと言うと、うーん・・・普通。
ほら、カレーなんてさ、家庭の味が一番良くって、外でカレー食べるってのは「大外れしない」って程度のチョイスじゃないですか。
でも多分、私が推測するに、この店長というかオーナーというかマスターというかの人は、「自慢の美味いカレーを食わせてやる!」をモットーに店を始めたんだと思うんですね。だからCoCo壱じゃなくて、自前の店なんだと思うのです。
それでこの店の前をたまに通る時に様子を見ると、店長というかオーナーというかマスターというか、要するに彼は、いつも一人なんですね。何をしているかというと、カウンターでパソコンなんかいじってるんです。


客がいないんです。


かわいそうに、「自慢の美味いカレーを食わせてやる!」と意気込んで店を始めたのに。

そう思って一度食べに行ったことがあったんですけどね、客が来ないもんだから「自慢の美味いカレー」は冷凍して保存してるんですよ。客が注文してから温め始めるんですね。


早くもねえ。


ダメじゃん。「早い」「安い」のファーストフード2大アイデンティティーが崩壊してるじゃん。

あ、そうか。ファーストフードじゃなくて、高級カレーバーを目指してるんだな。

あ、電子レンジでチンしたスープが出てきたよ。


そんなわけで、いつツブれるかと心配して見守っているんですけど、この店長というかオーナーというかマスターというかの人も、きっと不安なんでしょうね。
特にほら、牛肉騒動で牛丼屋までカレー丼なんか始めたでしょ。
彼も「指をくわえて見ているわけにはいかない、何か手を打たねば!」と考えたんだと思いますよ。

こんな貼り紙が出てました。











牛丼はじめました











ええっ!?

2004年5月9日(日) 戯夢人生

今年はカレンダーの関係で長いという割にあっと言う間に過ぎ去った黄金週間。帰省しなかったことで、思い出したことがある。

その時、私は電車の座席で寝ていた。たしか、あれは年末のことだったか、帰省のための特急列車だったと記憶している。
ふと目を覚ますと私の顔を覗き込む子供。

「ママ、起きたよ!」

当然、私の子供ではない。どこかの見知らぬ乗客(=子供)が、ずっと私の寝顔を観察していたというわけだ。

突然の事に驚いた私は、とっさに再び眠ったフリをしてしまった。

どうして見知らぬ子供に観察されていたのだろう?そんなに激しくイビキをかいていたのか?それとも激しく間抜け面でヨダレを垂らしていたのだろうか?はたまた子供が喜ぶほど大きい鼻ちょうちんでも膨らませていたのか?あるいは激しく寝言を叫んでいたとか?金縛りにあってうなされていたとか?寝たフリをしながら私の灰色の脳細胞は激しく働いていた。いや、今にして思えば、寝起きだったために脳が正常に機能していなかったのかもしれない。しかし、寝たフリをしたまま子供とその母親の会話に耳をすますと、それは全て杞憂であったことが判明した。

子供というのは、こうした列車の中などの非日常の空間に出くわすとはしゃぎたがるものだ。どうやら、騒ぐ子供を「寝ている人もいるから」と母親が諭したようだ。子供にしてみれば、「寝ている人がいるから静かにしていなければならない」なら、「寝ている人がいなければ静かにしていなくていい」と考えるのは自然なこと。この子は、クリスマスにサンタクロースを待ちわびるように私が起きるのを待っていたに違いない。これは気の毒なことをした。早速起きよう。

いや待て俺。ここで目を覚ますということは、子供が騒ぐことを容認することだ。それでいいのか?他の乗客はどう思う?私一人が目を覚ましたことで、総ての乗客に迷惑をかけていいのか?母親はどうする?せっかく子供が騒ぐのを押さえていたのに、私が目を覚ましたばっかりに母親の面目丸潰れではないか。

いや待て待て。そもそもこの母親が私をダシに使うからいけないのではないか?寝ている人がいようがいまいが、こういった公共の場では騒いではいけないとビシッと注意すべきだったのではないか。最近は「ほら、恐いおじちゃんに怒られるよ」と他人のせいにして子供を注意する親が増えているという。やはりここは親を甘やかしてはいけない。即刻タヌキ寝入りをやめるべきだ。

いやいや。もしかすると母親はビシッと注意したのかもしれない。しかしそこは子供のこと、「どうして?」と聞いたに違いない。大人にとっては当たり前すぎて答えられないようなことも子供は質問してくる。仕方なく母親は言うのだ。「ほら、寝ている人もいるでしょ」。至極当然で具体的かつ分かり易い説明だ。もしかすると私だってそう答えるかもしれない。そんな母親の事情も考えずに私が目を覚ましていいものか。




今まさに、子供、母親、乗客、そして日本の教育問題、いや、日本の未来、全てが







私のまぶたにかかっている。







いまだかつて、これほど世間の重圧に晒されたタヌキ寝入りがあっただろうか?どうして天気雨のことをキツネの嫁入りと呼ぶのだろうか?ネズミの嫁入りは一体どんな教訓話だっただろうか?




夢か現か幻か。半覚半睡のまま脳をフル回転させたかい虚しく、母子は次の駅で降り、こうして地球は救われたのでした。めでたしめでたし。

2004年5月11日(火) 私を野球に連れてって

黄金週間中の話ですが、神宮球場に野球観戦に行きました。
ヤクルト対中日戦。ヤクルトボロ勝ちで最初は傘開いて喜んでいたのですが、馬鹿みたいに一方的な大量リードなので試合自体は面白くなく、途中で帰ってきちゃったんですけどね。

そんなことはさておき、通常野球観戦は夫婦で行くのですが、この日は「たまには野球を見てみたい」「バ、バント?」という甥ッ子達も一緒に行ったのです。正確には義姉と小3の甥と小1の甥と幼稚園の姪、あとヨメ。計6名の大所帯。ところで義姉って何て読むんだ?

野球に行きたがった長男は素直に喜びましてね、最初だけは。すぐにゲームボーイに夢中になりましたけど。次男はハイキングみたいだと喜んでましたよ。ていうか、何だか分かんないけどいつも喜んでるんだよ。右も左も分からない姪は意味もなく傘を振り回して喜んでました。ゴールデンウイークだったので子供は入場料無料、加えて野球帽もプレゼントされましてね。「子供達でかした。3人も生んだかいがあった」と義姉も喜んでいました。

しかし私が楽しくないのです。なにせ試合が面白くない。5回終わって18対3。ファンだからといって勝てばいいってもんじゃない。それに幼い子供相手に野球に関するウンチクを語ってもしかたがないし。それに最近、選手にも詳しくないしなあ。

という訳でビールを飲むわけです。もちろん普段も飲むんですけど。

お気に入りはエビスビールです。
ご承知の通り売り子さんが売りに来るんですね。
この日のエビスの売り子がめちゃめちゃ可愛い娘でしてね。




近くを通りかかる



呼ぶ



近寄ってきてお酌(生ビールを注ぐ)してくれる



買ってくれるお客なもんだからまた近くに来る



また呼ぶ



またお酌してくれる
















キャバクラだ








いやー、新しい野球場の楽しみ方を発見したね。
飲みすぎたけど。

2004年5月14日(金) サージェント・ペパーズ・ロンリー・ダーツ・クラブ・バ、バンド?

この間、友人とダーツに行きました。この間と言ってももう先月ですからたいしてこの間じゃないんですけど。友人と言ってもNakamyura氏ですからたいした友人じゃないんですけど。

カウンターで店員が「機械の操作は分かりますか?」って聞くもんだから「分かりますよ。ええ、ええ、分かりますとも」と答えたわけです。ご存知ない方のために説明しますと、今時流行りのダーツはエレクトリック・ダーツといってボタン操作でゲームを選ぶんです。ちなみに、今時流行りの女の子はお尻の小さな女の子です。もう20年以上も昔の話ですが。こっちを向いてよ、ねえムーミン。

そしたらその店員がこう言うわけです。

「機械が新しくなったので説明を」



もう一度話の流れを整理しましょう。

「機械の操作は分かりますか?」

「分かりますよ」

でも、機械が新しくなったので説明したほうがいいと思います。

いや、むしろ説明したい。

ぜひ説明させてくれ」



まあ、あくまでイメージ台詞ですから、実際の会話とは若干異なりますが、流れとしては間違っていません。だったら初めから分かるかどうかなんて聞くんじゃないって話ですよ。

でもまあそこまで強く言うのですから(<言ってない)
「じゃあ、お願いします」
と言ったわけです。

するとその店員はこうのたまいました。




「操作方法は 以前と変わりません」(キッパリ)




えーっと、分かりやすい説明をありがとう。




ミュラさんは忙しいらしいので、私に挑戦するダーツァー募集中。なんだダーツァーって?ピッチングする人はピッチャーだから?ゴルフする人はゴルファーだから?それともダーチスト?ピアノを弾く人はピアニストだから?エベレをする人はエベレストだから?エベレをする人?いっそクラブ活動にしてしまおうか。放課後クラブみたいに職後のクラブ。いや食後のデザートじゃなくて。だから放課後電磁波クラブじゃなくって。その名もサージェント・ペパーズ・ロンリー・ダーツ・クラ・・・アイテテ舌かんじゃった。

2004年5月20日(木) 若い季節

街にチラホラ新入社員が現れる季節になりました。





危険です





新人なんてものは競馬言えば新馬同然。フラフラしたり真っ直ぐ走れなかったりゲートを嫌がったり全く手が掛かります。社会生活を言語レベルに例えれば新社会人はひらがながかろうじて書けるレベルです。そんなのが約95万人。研修等々を終えて街に出てきたのです。

新入社員がどのくらい危険か、自分が新入社員だった時代を思い出して下さい。

思い出して下さい。

よーく、思い出して下さい。




ね、危険でしょ?





だいたい新入社員って電話ですら緊張してるでしょ。受話器の向こうから緊張が伝わってきます。
そもそも電話なんてものは「大変申し訳ありません、いえいえ、こちらの不手際でご迷惑をおかけしまして、はい、はい、ごもっともです、そういう訳で今後とも一つ、はい、はい、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。それでは失礼いたします」と鼻ほじりながら言うための道具ですから。

なんぞの調査結果によれば憧れの上司ナンバー1は、星野仙一と黒木瞳だそうです。
ま、星野仙一はいい上司だわな。黒木瞳は・・・(ウットリ)。白いブラウスに紺のタイトスカート・・・(ウットリ)。嗚呼、黒木瞳に叱られてえ。
というわけで理想の上司はなかなかの選択ですが、まだまだですな。俺に言わせれば理想の上司は。理想の部下も。We are NO.1。なんで複数形なんだ?まあ、上司にしたくないナンバー1も俺なら部下にしたら面倒そうなのも俺ですが。




先日、どこぞの会社の新入社員と名乗る男から、自宅にセールスの電話がかかってきました。
「新入社員と名乗る男」と言ったところで「新入社員です」って言ったわけじゃない、と思うでしょ。



言ったんです。



「○○という会社の○○(自分の名前)という新入社員です」



「新入社員なんで



話を聞いてください」






こいつはアホかと。同情をひくつもりがかえって自分を不利に追い込んでいるわけです。セールスは駆け引き、如何に信用させるかが勝負なわけです。「新入社員」と悟られた瞬間、相手が圧倒的優位に立つのです。俺がヘビなら奴はカエル、奴が序の口なら俺は横綱。こういうパワーバランスが読めない辺りが、社会生活者としてひらがながやっと書けるレベルだというわけです。

しかし、たしか土曜日の午後7時か8時頃の電話だったかな、それはそれで可哀相なわけです。まったく新入社員なんていいように雑に扱われてさあ、OJT(On The Job Training)と言えば聞こえはいいが、ただ便利に使われてるだけじゃねーか?まあまあ、こんな時間まで働かされて、せっかくの週末だってのにねえ。ダウンタウンに繰り出そう!繰り出したい盛りいやもっといろんなモンも出したい盛りの年頃だってのにねえ。

そういうわけで、やさしいお兄さんはお話しを聞いてア・ゲ・ルことにしたわけです。


新人君「実は資産運用のためのマンション購入のご案内を・・・」
俺  「あ、買ったばっかだから無理。じゃね(ガチャン)」





ヨメの所にも新人セールスレディーが来たそうです。
何かの商品のサンプルを置かせてくれとかいう話で、まあサンプルならいいよということになったそうです。で、新人セールスレディーの算段としては

「サンプルがなくなった頃にまた来ます」

と言いたかったのでしょうな。





「忘れた頃また来ます」





忘れられちゃダメじゃん。




しかし、このエピソードのおかげで忘れられない存在となったことを考えるとおぬしやるな。しかしヨメ曰くその後パッタリ来ないので忘れたのはお前のほうじゃないかということでかなりのやり手だ。

2004年5月25日(火) ペペチーの映画史

今回はいたって真面目な話。映画サイトらしい建設的な話題。なに?ここは映画サイトじゃないって?

いや、あくまでここは「自己紹介の延長戦」

つまり本家“CinemaScape−映画批評空間−”の“プロフィール=自己紹介”の延長戦だから。果てしない延長戦だから。泥仕合だから。ここはシネスケのコメテがやってるサイトではなくて、シネスケの一部(末端)なの。本来Homeをクリックしたらシネスケに戻るんだから。世が世なら。

よく映画監督で「完璧主義者」と称される人がいるじゃないですか。キューブリックとかワイラーとか。めちゃめちゃ時間かけて何テイクも何フィートも撮影する人。公開当時の『ブレードランナー』のラストシーンで『シャイニング』の余りフィルム(冒頭の空撮)が使用されているそうですが、何より問題はその長さでね。

スコット「なんか暗いって不評で、ラストシーン追加しろってんですよ。空撮のフィルム、余ってんのください」
キューブリック「ああ、いいよ。そこにあるから勝手に持っていきな」

そのフィルムのあまりに膨大な量にリドリー・スコットはげんなりしたそうですよ。約3万フィート!メートル法に換算して(多分)9km超!時間にして(多分)5時間超!アホかっちゅうねん。
あ、ちなみにこの会話は嘘ですから、信用しないように。多分げんなりしたのもリドリー・スコットじゃなくて編集の担当者ですから、きっと。

その一方で「早撮り」自慢の監督もいるわけです。スピルバーグとか森田芳光とか。スピルバーグがアメリカ史上最も優秀な監督(制作者)と言われるのは「稼ぐ映画」を作る以上に「制作費がかからない」からなんだそうです。気付いてます?スピルバーグ映画で「制作費○億円!」とかいう宣伝文句が無いの。だから森田君も優秀な監督であるはずなんです、本当は。あ、稼ぐ映画作ってないのか。

こうした早取り監督ですら決していいかげんに画面を撮ってるわけではなく、あまつさえ完璧主義なんてどうなっちゃうのさ!思った通りの画面を撮るのってすげえ大変なのだなあ、と実感したという話です。ええっ!今まで前置きだったのか!

写真を撮る必要がありましてね。
詳しいことは割愛しますが、欲しかったのは学校の正門を大学生と小学生が歩いている後ろ姿。
日常あまり見かけない風景なので「面白い絵かな」と思ったんです。総合学園というか大学と小学校とかが隣接してる学校では特に珍しくない風景なんですけどね。「面白い絵かなと思った」ということは、その構図の言い出しっぺは私だったわけです。何か写真が必要だったんでどうせ思い付きで言ってみただけですよ、ええええ。

で、まあ、職場の高級オモチャの“デジタル一眼レフ&望遠レンズ”チャチャチャなんか駆使してとりあえず試し撮りたところ、これがなかなかの出来。「いいじゃない」「オーパッキャマラド!」(<歌違うし)とアイディアは絶賛の嵐。でも撮った写真は不採用。



小学生に見えないんだ



なんかさあ、最近の小学生ってランドセル背負ってないのね。何バッグっつうの?小洒落たリュックみたいの背負っちゃってんのさ。よほど低学年じゃないとランドセル背負ってないの。なんだよ都会の子。図体もデカイしさ、服装も格好いいのよ。小学生は短パンだろ!

というわけで日を改めて再撮影ということになったのですが、ここからが大騒ぎ。

小学生が通るかと思えば大学生がいない。大学生がいるかと思えば小学生が来ない。オッ、小学生!しかもランドセル!ってんでカメラ構えて待ってると途中で道草食ってなかなか来ない。そうこうしているうちに休み時間で大学生がワラワラと佃煮にするほど沸いて来る。邪魔だ邪魔だ何の写真か分からんじゃないか。アングル変えると風情ある石畳が写らない。このアングルじゃ電線が写っちまう。あの店の看板じゃまだな。なんだ大学生その服装。ラッパーのつもりか。ラッパッパーか。やめろ小学生Vサインなんかするんじゃない。寄ってくるな。ああ、曇ってきた。ああ、宅急便のトラックが視界を遮る・・・。




こうしてセット撮影が誕生した





ヌーヴェル・バーグなんて嘘だな。

2004年5月30日(日) 床屋にて

やあ、どうも。いつも健全なコンテンツを流し続けるひとりごつです。

昨日床屋に行きました。5月29日です。待たされました。待たされたものだから待合に置いてあった新聞を読んでみました。読●新聞です。発行部数日本一だか世界一だかという新聞です。この新聞を手に取るのは実に十年ぶりになるかもしれません。というか、私はこれを新聞と認めていません。

思えば十年前、この新聞が「●売新聞憲法改正試案」なるものを一面トップに掲載したことに私は激昂しました。いいですか、この憲法改正案はこの新聞社が勝手に作ったものなのです。今調べて初めて知ったのですが、2000年、2004年と計3回も「憲法改正試案」を掲載している。ここでは改正案の内容は問題ではありません。いえ、改正案を作って世に憲法改正の是非を問うこと自体は悪いことではないのかもしれません。でもそれは特集が何かでやるべきです。一面トップだよ一面トップ。お前が勝手にでっち上げた記事を一面トップに掲載するとは何事だ。新聞の使命の第一義は、真実を見極める目を持って事実を読者に伝えることじゃないのか。一面はスクープ記事の場所ですよ。自分で勝手にスクープをでっち上げるとは何事だって話ですよ。東スポの「高橋尚子落選不満!アテネ走る!本紙記者が」ってのと同じレベルですよ。いや、東スポ以下ですよ。

というわけで、新聞の第一義使命すら果たせないこの自称新聞を私は紙屑と認定して早十年、実に久しぶりに手にしたわけです。5月29日。前日、イラクで邦人ジャーナリスト橋田さんと小川さんが銃撃された翌日です。


社説を読んで私は唖然としました。




なんて幼稚な文章




“痛ましい事件”と書きつつも、“特別な事件ではない”という書き出して始まり、
その後は連綿と、戦場でジャーナリストが死ぬのは“珍しいことではない”、ベトナムやボスニアだって何人も日本人ジャーナリストが死んでいるし、“いちいち大騒ぎされたわけではない”と続く。
そして最後は、(たいした事件じゃないのだから)“自衛隊のイラク派遣と関係づける問題ではない”という結論に至る。


もうね、何がビックリしたって、書いてる内容自体もさることながら、その論理の幼稚さ。
学級会で見かける小学生並の論法ですよ。中学辺りの入試問題だったらこんな論拠の回答は0点ですよ。

しかも挙げ句の果てに
“人質事件とは様相が異なる”、(人質事件は)“家族が”“無用な混乱を招いた”、署名やデモなど“極めて政治的な、奇妙な光景が繰り広げられた”
とまで書きたてる。




口アングリです




これが床屋でなく歯医者だったら治療されてるところでしたよ。




体制側に与(くみ)して人民(それも少数派)を攻撃するジャーナリズム。なんて不健全。そんなジャーナリズムがどこの世界にある?政府与党の御用新聞なのか!あ、政府与党の御用新聞なのか。じゃあ、しょうがないね。社会主義国とか共産主義国のプロパガンダ紙と同じね。分かった分かった。民主主義国家としては甚だ不健全だがね。


同じ事件に関して、朝日新聞の社説は「現場主義の重みを思う」と題し、経済主体の日経新聞ですら“国家と民衆の間に横たわる戦場の痛みが写真を通して世界へ伝わった”と論じるなど、同じく報道を預かるものとして「追悼の意」と「自己反省」を多少なりとも盛り込んでいた。ていうか、それが普通だよね。それをまあ[2邦人襲撃・人質事件の特異さが際だつ]という題目で、意図的とも思える不健全で一方的な視点で、この事件に伴う自衛隊派遣の是非についての議論がさほど噴出していない時期に、敢えてクギを刺す姿勢。




口パックリです




これが病院だったら胃カメラ飲まされているところでしたよ。




ついでに余計なことを書かせてもらうと、ああ、結局笑い無しの堅い話になっちゃうな、ごめんなさい。亡くなった橋田さんね、この読●新聞だったかな、報知だったかな、「自衛隊派遣に賛成の人」と報じられていたんだけど、この人「派遣反対派」の人だったの。
でも現地で砂ぼこりの中で汗水垂らして働く自衛隊員の姿を見て

感動した

って言った人なの。
だからこそ、日本のマスコミが全て撤退した今、自分が少しでも自衛隊の働く姿を我々日本国民に、いや世界に届けるべきだと活動した人なの。
この話を聞いた時、俺は泣いた。反対意見の人間は反対意見の視点でやっぱり物事を見ちゃうじゃないですか。それを現地で素直に感動できるんですよ。先入観無しでフラットな視点で物事を見られるんですよ。健全です。極めて健全なジャーナリストです。
それを一まとめに「賛成派」と安直に収めてしまう大手マスコミの不健全さ。
というかコンテンツ健全化法案に関する報道が全くされない不健全さってどうなのよ。

あ、床屋の順番が回ってきた。さっぱり短くしてくださいな。






全文読みたい人は勝手にどうぞ
5月29日付読売社説
5月29日付朝日社説
5月29日付日経春秋

[先月] [目次] [来月] [最新ごつ]

トップに戻る