ひとりごつ

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2004年4月5日(月) 磯野家、商業主義に汚されるの巻

ご存知ですか?
最近、コカコーラのCMにサザエさんが出ているのを。

なんでも、サザエさんが買い物に行くからと言うと、ワカメやタラちゃんやマスオさんが口々に、やれアクエリアスだの爽健美茶だのをついでに買ってきてくれと言い、終いにカツオが

「僕、ステーキ!」

「こらカツオ!」

「どこがついでなのよ」

チャンチャン

というCMです。


ご存知ありませんか?そうですか。そういうCMがあるんですよ、最近は。
































三河屋のサブちゃんに


配達してもらえ

2004年4月13日(火) イラク

 人質3名の解放が確認されないので苛立っている。誰が?私が。おまけに春先のせいか頭がオカシクなっている。
 ヤースにヤツ当たりして悪い事をしてしまったので、ここで無差別に当たり散らすことにする。
 この「ひとりごつ」で笑い抜きの事を書くのは初めてだ。今回は政治色満載。どす黒い憤怒と憎悪をまき散らしながら私見を述べる。

 人質3名が解放されてもされなくても、人質問題とは関係なく、私は自衛隊の一時撤退を主張する。イラクの復興支援をするなと言っているのではない。復興支援をするのなら、アメリカの単独行動に付き合うのではなく、国連の一員として行動すべきであるというのが私の主張だ。冷静に考えれば今回の人質事件と自衛隊の進退は切り離して考えるべきであるという意見にはまったくもって賛同で、今回の人質事件によって自衛隊の「引き際」が難しくなったという意見には膝を打つ。その一方で、私が問いたいのは日本の「姿勢」の問題で、最初から掛け違えたボタンをいかに正すか、今回の事件はそのきっかけとなっても良かったのではないかとも思っている。

 荒馬さんは「自衛隊が蔑ろにされている」と憤っていたが、少なくとも私にそんな気は毛頭ない。自衛隊だから危険な目に合ってもいいという道理は無い。自衛隊員からも一人の犠牲者も出て欲しくない。私は自衛隊ファンである。陸自の富士総合演習に行ったり、海自の護衛艦一般公開に行ったくらいだ。いつか観艦式にも行ってみたいくらいだ。何故私は自衛隊に魅力を感じているのだろうか。特に軍隊が好きなわけでも兵器が好きなわけでもない。その証拠に海外の軍隊には取り立てて魅力を感じない。恐らく私は自衛隊のアイデンティティーに共感しているのだ。軍隊のようで軍隊でない、軍隊でないと言いつつ軍隊である。このアイデンティティーが悲しいのだ。日本という国家の犠牲者となりかねない彼らが悲しいのだ。だから私は『KT』で『パト2』で涙したのだ。(同様の理由で、私は公安調査庁にも興味がある。)
 いっそ自衛隊をなくしてしまえとも思う。憲法9条ウンヌンもさることながら、ただ単に政府国家の「便利」のためだけに利用されるのならやめてしまえと。今回の派遣もさることながら、災害があれば派遣され、雪まつりの設営には駆り出され、しまいには所沢のダイオキシン疑惑の野菜までをも食わされる。危険な職業であることは承知だ。警官だって消防隊員だって同じだ。だが、あまりにも便利屋すぎはしないか。自衛隊ならどんな扱いでもいいのか。確かにその論理で言えば、国の都合で「行け」「戻れ」と翻弄されたら「冗談じゃない」と憤るのも無理はないとも思うが。

 人質となった3人は好き好んで行ったのだから危険は承知していたはずだ、という意見もあろう。彼らが戦火に巻き込まれて死傷したなら、私もそう言ったかもしれない。いや、かえって「本望だった」と言わなければ浮かばれまい。だが今回は事故ではない。「自衛隊がいるから」「日本人だから」という理由で拉致されたのだ。つまり、現地に赴いたことだけが因果関係ではない。彼らは日本という国家の犠牲者だ。
 「子供を助けてくれ」と今更泣くくらいならイラクに行くと言った時に身を挺してでも止めるべきだったろうよ、と親族を責めるような意見もある。もし私の子供が「世界の子供を救いたい」と言い出したら、恐らく私はそれを止める言葉を持ち合わせないだろう。親のスネかじって遊んでいるわけではない。私利私欲に駆られて行ったわけでもない。物見遊山の野次馬でもない。「再三退避勧告したにも関わらず」と言われればその通りだが、コンビニの前でタバコ吸いながらたむろしている19歳よりも、「劣化ウランの被害をこの目で確認し、世界に伝えたい」という19歳の熱意を私は支持したい。貧しい子供達のために額に汗する人を私は支持したい。自ら工事現場で働いて旅費を稼いだカメラマンを私は支持したい。犠牲的精神に己の使命を見出した彼らが、私は心配で心配で心配で心配で心配でたまらない。自分にはとうてい真似出来ない、敬意を払うべき人々。
 そんな彼らを、ブラウン管の向こうの出来事と茶の間で眺めながら「そんな所に行くからだ」などと高見に立って鼻ほじりながら言ってる奴らを私は憎む。誘拐犯よりもテロリストよりも憎む。


殺してやりたいくらいだ。


 自衛隊撤退論に対しては、「テロと取引するなんてのは、テロを身近に感じていないからその危険性を知らないからだ」「平和ボケだ」という論調もある。仮に日本国内でテロがありテロの恐怖を身近に感じたらそんな意見は出てこないはずだ、という意見もある。だが、自衛隊は戦いに行っているのではない。人道支援に行っているのだ。仮に自衛隊が戦いに行っているとしよう。そして仮に日本国内でテロが起きたとしよう。「よくもやりやがったな!自衛隊よ(戦闘を)がんばってくれ!」という世論があっても、私の好みではないにせよ、理解はできる。だが人道支援なのだ。「よくもやりやがったな!自衛隊よ(人道支援を)がんばってくれ!」なんて世論が生まれるだろうか。んなもん、テロとの取引以前に「そんな国を支援する必要がない」という世論になるに決まっている。だいたいテロの危険性を語るなら、どうして交渉で解決できると思うんだ。どっちが平和ボケだ。

 「テロに屈しない。」耳障りのいい言葉だ。「国民は戦う準備がある。」知らぬ間に準備をさせられてしまったらしい。どこからこんな言葉が出てくるのだ。それこそ平和ボケじゃないのか。戦争なんてそんな甘いもんじゃない。これは戦争だ。アメリカとイスラムの戦争なのだ。無差別テロと言うが、たしかに民間人と軍人の区別はついていないが、アメリカかアメリカじゃないかの区別はついているように思う。奴らは世界中に牙を剥いているわけではない。アメリカとそれに与(くみ)する者と戦っているに過ぎない。「テロは世界の脅威。」世界はアメリカだけじゃない。
 「ベトナム化だ」という意見はやや早計にすぎる気もしないではないが、泥沼化の様相もたしかにある。「テロには屈しない」=「暴力には屈しない」=「本土決戦だ。一億総玉砕だ」と私が混同しているのもまさにこの点で、もう日本は戦争に巻き込まれてしまったのだと思う。いくら「人道支援」だと言っても現地ではそう思ってもらえないこともまた同じ意味を持つ。我々は既に銃後の世界に置かれている。ベトナムの辛酸もソマリアの経験も生かせない国といつまで運命を共にする気なのか。モスクを空爆したことがどれほどの事か分かっているのか。日本で言えば皇居を空爆されたと同じくらい、いや、それ以上の精神的苦痛に違いない。どうしてアメリカは他国の文化を理解しようとしないのか。自分達が追い込んで生み出したテロであるということがまだ理解できないのか。何故日本がアメリカの傀儡政権成立のために尽力せねばならんのか。いや、何故アメリカの尻拭いをしなければならんのか。だいたい今更ナンだが、大量破壊兵器とやらは見つからなかったではないか。
例え石油の採掘権を巡る利権が絡んでいようと、行動を共にすべきはやはり国連ではないかと思うのだ。いや、国連でなくともいい。唯一の被爆国にして敗戦国である日本は、その経験を生かしたアプローチをすべきだったのではないだろうか。

 今の状況を、そして日本のあるべき姿を、分かり易くドラえもんに例えてみよう。

 アメリカがジャイアンだ。弱者であるのび太に一方的な暴力を振るうガキ大将。悲しいかな、この物語にドラえもんは登場しない。秘密道具も大量破壊兵器も登場しない。従ってのび太は姑息な手段を講じてジャイアンに復讐しようとし、さらに周囲のひんしゅくを買う。そして日本はスネ夫だ。ガキ大将の仲間にしてもらおうと必死な様が嘲笑を買う。本人に自覚がなくとも周囲の目にはそう写っている。
 日本のあるべき姿はスネ夫じゃない。もちろんジャイアンでものび太でもない。そしてドラえもんでもない。

 日本のあるべき姿は、彼らの人間関係に関わりつつ常に中庸の立場にいる者、


 そう しずかちゃん だ。


 非力でもいい。胸を張って仲裁に入れるしずかちゃんこそ、日本のあるべき姿だと私は信じている。

2004年4月20日(火) 君が代

ヨメが軽く怒りながら帰ってきた。
SHINJOを見てみたいという友人とロッテファンという友人とで、日本ハムvsロッテ戦を観戦しに東京ドームに行ってきたそうだ。
そこで「国家斉唱」があったことに怒っているらしい。

またそんな「左翼思想」かい、と思われるかもしれませんが、この件に関しては我が夫婦は意見が一致している。
「君が代」を歌おうが歌うまいが、どっちでもいい。
よく卒業式シーズンになると歌うの歌わないのモメてるようで、ついに今年は東京都教育委員会が攻勢に出て歌うように徹底したそうですが。
まあ、私的見解を言わせてもらえれば、本当にどっちでもいい。
目くじら立てて「歌わねえ!」って意固地になるのもどうかと思うが、目くじら立てて「歌え!」ってのもどうかと思う。ていうか、学校行事なんだから「校歌斉唱」で充分なんじゃねえの?

今年はまだ野球観戦に行っていないので分からないが、今まで神宮で国歌斉唱なんてあったかなあ?ああ、日本シリーズの時と開幕の時にあったわ。いつだったかな、開幕戦のオープニングセレモニーにヤクルトファンだという羽田健太郎がピアノ弾きに来ました。

羽田健太郎の「君が代」。

その後が「東京音頭」

すごいでしょ、羽田健太郎演奏の東京音頭。

それはさておき、つまり、開幕とか日本シリーズとか、あるいは国際試合とか、まあ、何と言うか、そういう大きな試合とか節目の試合とか、そういう時は国歌斉唱があってもいいと思うんですよ。



ウチのヨメが怒ってるのもそこの所でして、



たかが ハム屋とガム屋の試合じゃない



というわけです。


結論を言えば、東京ドーム初試合だったから国家斉唱があっただけだと思うんだけどね。






余談ですが、『キャシャーン』の主題歌は宇多田ヒカルなんだなあ、と言ったら

「宇多田がやらねば誰がやる」

と言われたよ。じゃ、またな!

2004年4月24日(土) 汚れた英雄

ちょっと前になりますけど、職場の出入口の一つにこんもりとウンコがありましてね。
いきなりなんて書き出しだ。太文字で強調する必要もない。
食事中の方ごめんなさい。ていうか、飯食いながらホームページ見てんじゃねえよ。あ、ホッシーと同じこと書いちゃった。

そしたら今日、職場の最寄り駅のホームにもこんもりとウンコがあったんです。
いや、まあ、太文字で強調することもないんですが。

ボンヤリ歩いてたらウンコ踏んじゃうかもしれないんですよ。

まったく恐ろしい世の中になったもんです。テロですよ、テロ。ウンコテロですよ。
通勤途中ですからね、もし踏んでたらめげてましたね。休んでますよ。テロに屈してましたよ。力なくガクッとヒザついてましたねきっと。ヒザにウンコ付いちゃうじゃねーか。


そこでひらめいたんです。いや、まあ、今時、日常語で「ひらめいた!」なんて言う人も少ないと思うんですがね。「どう?最近ひらめいている?」そんなこと言ってるの旭化成くらいのもんで、もしくは皆さん単にひらめかないだけかもしれませんが。
そんなことはさておき、とにかくひらめいたんです。新しいテロの手法を思い付いたんですよ!









バキュームカー横転テロ









バキュームカーを強奪して横転させるんです。例えば渋谷109の前とかで。いや、もう、阿鼻叫喚です。地獄絵図です。皆、藁をもすがる思いでその場から逃れようとしますよ。カンダダです。サイババじゃありません。ガンダムでもありません。いかに凄惨な光景か想像してごらんなさい。いや、ほんと、食事中の方ごめんなさい。想像しないほうがいいですよ。

なんと美しいテロリズムではありませんか。いや、排泄物まき散らして美しいってこたぁないのですが、死人は出さずに多大な精神的ダメージを与えるってのが美しいと思うのです。

しかしこのページをいつ何時テロリストが読むかもしれません。インターネットってこわい。このバキュームカー横転テロが実行された暁には、私も当局に連行されるかもしれません。そうだ、郵便局に書留取りにいかなきゃ。

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