2003年5月18日(日)のひとりごと 「レニングラード攻防戦」
質疑応答というものは、本来、言葉による高度な攻防戦だと思う。
特に政治家の記者発表に対する記者団の質問や国会答弁などはその見本となるべきだ。
ところがテレビなんかで見るに、まったくもってなってない。
まるで御用記者か何かのように、決まりきった質問を投げかけるだけだ。
相手の虚を衝く質問、それに対するグウの音も出ないような回答。
傍で見ている者が手に汗握るような会話の攻防。それこそ見ていて面白いというもの。
「あげ足をとれ」ということではない。
ところが、質問者側が一斉に色めき立ってワーワー騒ぎだすのは、素人でも分かるような失言に対してのみ。
不用意な失言なんてのはまさに不注意の産物で、日常会話ならまだしも、「相手に付け入る隙を与えてはならない」という緊迫の状況を何だと心得る。それを生業(なりわい)とするならまさに戦場。戦場での不注意は死に値するのだ。
「ビンラディンどうしたんだよ、ビンラディン。まだ見つかんねーのかよ、ビンラディン」
全然正確ではないのだが、だいたいこんな様な質問をしたらしいんですね、アメリカの記者団が。
ここんとこフセインばっかりかまってたから皆忘れていたようだけど、まだ見つかってないんですよビンラディン。
その点を記者に突かれたラムズフェルドの回答。
「世界は広い」
今頃気付いたんかいっ!
いや、もう、凄い回答だね。
相手に付け入る隙を与えないどころかツッコミ所満載。
逆に呆れちゃって二の句がつげない。
ウチの職場、身分証の携帯が義務づけられてるんです。
身分証というか名札みたいなもんなんですけどね。
胸ポケットにはさむか、あるいは首からぶら下げているわけです。
私はぶら下げ派なのですが、支給されたお仕着せの名札ケースが嫌で、自前で購入した名札ケースを使っているわけです。つまり他の人とぶら下げているヒモの色が違う。
これに目を止めた別の部署のオジサンが話しかけてきたのです。
このオジサン、普段接点が無いのでどういう人なのかよく分からない。
にこやかで人の良さそうな感じなんです。オカシナ人ではないと思うのですが。
その時私は書類を持って行っただけなんですけどね。
オジサン「それ(名札ケース)自分で買ったの?」
私「はい、そうです」
オジサン「ふーん。いくらぐらいするの?」
私「200円か300円くらいだったと思いますけど」
オジサン「ふーん。どこで売ってるの?」
私「私は東急ハンズで買いました」
オジサン「ふーん、あ、そう。どこの?」
私「え?ああ、新宿でしたかね」
オジサン「ふーん。1階?」
私「へ?あ、売り場ですか?いえ、文具売り場でしたから上の方の階でした」
やっとご納得いただけました。
よほど私の回答は付け入る隙だらけだったんでしょう。戦場なら憤死してます。
たかが名札ケースで。