2003年3月29日(土)のひとりごと 「アメリカの影」
また戦争ネタ。
仕事や生活に追われているうちは忘れているのだが、やはり戦争は続いている。
それを思い出す度に、また私はヘコむ。
戦争が起きていること自体があり得ないのに、犬や猿ならまだしもこの戦争に賛同している人間がいることが信じられない。
先日、椎名林檎がテレビで「何もできない私たちは見届けることしかできない。見届けたいと思う」と言っていた。
私もこの事態を見届けたい。例え世間やテレビがワイドショー的な一過性の話題で終わったとしても。
今回の戦争に関するウチの父親の発言
「しょうがねえんだよアングロ・サクソンなんだから」
思いっきり人種差別です。
「西部劇みりゃわかるだろ。撃たなきゃ解決できねえ奴らなんだよ」
あまりにも偏った意見で笑っちゃいましたが、あながち間違いだとも思えず、
「ああ、この親にしてこの子ありなのだな」と改めて血筋というものを実感しました(そういう問題か?)
本家や裏の自己紹介欄でさんざんアメリカを揶揄していたわけですが、
これはもう明らかに私の反米思想猛爆発ってことで、笑いに昇華していいもんかどうか
(いや、よくないんだけどさ)と自分でも思ってるんですけどね。
ところが、その一方で「戦争反対」「反戦」といった単語は一切使用していないことに気づいたわけです。
もちろん戦争に賛成しているわけではありません。
別に避けていたわけじゃないし、その理由もうまく表現できないのだが、
戦争自体があり得ない話だし、なんとなく、「反戦」という言葉を使う気分ではなかった。
天野祐吉というCM見て好き勝手な事を言ってるお気楽な商売(失礼)をしている大好きなオッサンがいるのだが、この人が先日新聞でこんなことを書いていた。
「反戦」ではなく「非戦」
その理由や言葉の意味はうまく説明できないので説明しないが、このフレーズは非常に私の心を捉えたのだ。
「非戦」。
まさに今の私の心情を的確に表している単語だと思う。
そんなこんなで、日本国内にも深く静かに戦争が暗い影を落としている。
私は電車の中吊広告を見るのが好きだ。
特に週刊誌の広告などは、社会と私をつなぐ小窓だと思っている(雑誌は買わないんだけどね)。
私がお抱え運転手を雇う身分になってこの小窓が閉ざされてしまうのが心配だ。どんなに偉くなっても電車通勤だけは続けよう(<余計な心配)。
この中吊広告にも戦争が暗い影を落としている。
「戦争」に関連する単語が週刊誌の見出しに踊る。
どうしたってこの話題は避けて通れぬらしい。
女性週刊誌ですら「海外旅行は?」「輸入品はどうなる?」といった見出しがあるくらいなのだ。
ア●ヒ芸能という雑誌がある。
普段は暴力団の抗争ネタとエロネタしか載っていない雑誌である。
相変わらず「エッチ」「巨乳」「淫乱」などという見出しが踊ってはいるが、やはりこういったご時世、戦争について触れざるを得なかったのだろう。
ヤクザ組長大激白
「ブッシュもフセインも親分の器じゃねえ」
モーレツに独自の視点だ (^^;
ぜんぜん戦争の暗い影じゃないし
っていうか、大激白って、
普通、本人とか関係者が
内情を暴露したりする時に使うんじゃないの?
これじゃウチの親父のヨタ話と変わんねえじゃねーか!
もはや何が正義なんだか・・・