2003年12月4日(火)のひとりごと 「終の住処」


先思えば長いことこの街に住んだものだ。

時の流れというのは不思議なもので、自分がその場所と長く関わると意外と時間の流れを感じない。きっと、日々訪れる小さな変化を自分でも気付かないうちに受け入れているせいなのだろう。
これが、例えば繁華街など、時折訪れる場所だとずいぶん違う。知らぬ間に新しいビルや店が出来ていて驚かされる(そして決まって元の店が何だったか思い出せない)。奇妙な感じだ。タイムスリップとはきっとこんな感じなのだろう。実時間と体感時間は反比例しているかのようだ。

子供の成長も同じだ。

冠婚葬祭で久しぶりに会う親戚の子供の成長ぶりに驚かされるものの、おそらく毎日育てている親は他人ほど時の流れを感じてはいないのだろう(私は子供がいないので推測にすぎないが)。
だがそうした中でも、ふとした瞬間に時の流れを感じることはあるに違いない。去年買った服がもう着られない、そんなちょっとした瞬間に。

通勤電車の中でよく見かける子供がいる。
彼の名はリョウマ君。小学3年生。住んでいる場所も通っている学校も調べは済んでいる。もちろん彼はこんなストーキング行為はつゆほども知らない(単に定期券が見えただけだが)。
5歳年上のお兄ちゃんがいる。
リョウマ君がまだ小学1年生の頃、6年生のお兄ちゃんが手を引いて通学していた。
電車通学が楽しかったのか、彼は落ち着きなく、いつも電車の中ではしゃいではお兄ちゃんに注意されていた。
やがて一年が経ち、お兄ちゃんは中学生。方向が一緒なのか、同じ電車での通学は続いた。
しだい大人びてくるお兄ちゃんの一方、まだまだ子供っぽいリョウマ君。
やがてリョウマ君が一人で通学する姿を多く見かけるようになり、とうとう二人は一緒に通学しなくなった。
時折同じ電車になっても、席は別々に座り、言葉を交わすことも無い。
そして今、お兄ちゃんの姿を見かけることはなくなった。
あれほど電車の中ではしゃいでいた彼も、いまではすっかりランドセルを抱えて座席にうずくまるようにして寝ている。
「自分は長いこと同じ電車で同じように通勤しているんだなあ」
わずか3年ではあるが、一人の子供の成長を通じてそんなことを感じたのだ。

時の流れを感じるのは、子供だけではない。

私の住む街に一軒の本屋がある。
帰宅途中、必ず前を通る店。
駅ビル(と言っても2階までしかないが)の中にある本屋で、数年前の駅ビル改築以前から(若干移動したが)その場所にあった。
元々はマンガ屋だった。
店頭にいるのはいつも老人の店主とその息子(推測)。狭い店舗に天井に届くほど高く積まれたマンガ本。なかなかにマニアックな種類も充実していて気に入っていた店だった。
ある時、駅の改装に伴いこの店も閉店を余儀なくされた。そして新しくなった建物で、新しい店として再登場した。
普通の本屋だった。
マニアックなマンガはなりを潜め、週刊誌や一般書や売れ筋のマンガが並ぶ一般的な本屋になった。
老店主と息子の二人きりだった店番もアルバイトを何人か雇い、家内制「商い」から本格的な「商売」へ移っていた。
その一方で、老店主の姿が見えなくなっていた。
風の噂では亡くなったらしい。
おそらく息子(推測)が店主を引き継ぎ、老店主の婦人(つまり新店主の母親)が店頭に立つようになった。
この老婦人、本屋が好きなのか、ボケ防止の一環なのか、その姿を毎日店頭で見かける。姿を見かけるからには大病を患ったりしていないのだろう。健康な様子でなによりだ。それが日常となってしまえば、さして気にも止めないものだ。
ところが昨年、いや、数ヶ月前だったか、あるいはもっと以前だったか、いつの間にか老婦人は車椅子に乗っていた。
今でも時折店頭にいる姿を目にするが、車椅子から離れることはなくなった。
もうレジに入ることもないだろう。車椅子の姿で万引き防止の見張りを続けている。

思えば長いことこの街に住んだものだ。

酒屋から転身したコンビニ。
画一的で面白味の無い品揃えのセブンイレブンに押されたのか、「オバサン(オーナー夫人<推測)最近やつれたな」と思う間もなく弁当屋になってしまった。それ以来彼女の姿を見ていない。

白髭に帽子の粋な爺さんが店主だった古本屋。
面白味の無い品揃えのBookOffに客をとられたのか、中古ゲーム・マンガ屋になってしまった。
もうあの粋な爺さんを見ることはない。

時折行くファーストフード店。
朝早い時間は決まってレジにお婆さんがいる。いかにファーストフードの制服が年寄りに似合わないかという話で一本書けそうだが、もう何年も朝早くはこのお婆さんが店員としてそこにいる。そういうシフトなのか、あるいはオーナーがバイトのいない時間を自ら埋めているのか推測できない。だが、立ち続けているだけでも体力的にきついだろうに、彼女はおそらく毎日店頭に立っている。
ところが最近、少し耳が遠くなったようだ。客の注文を聞き返すことが多くなったように思う。


いつもそこにあったものがなくなった時、いつまでも変わらないと思っていたものが変わってしまった時、ふと、時の流れを感じてしまう。


この街に住んで十年近くになった。

明日、私は引っ越します。
















3丁目から4丁目に







すぐそこじゃねーか


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