2003年10月11日(土)のひとりごと 「偶然にも最悪の中年」
その日は不運だったとしか言いようがない。
仕事が立て込み、やっとの思いで疲れた身体を引きずって帰る途。
いつものように乗った電車は、偶然にも私が座るに充分な座席があった。
僅かな隙間にも強引に尻をねじ込む中年を時折見かけるが、私はそういった類の行為は好きではない。
だがその日の私は疲労していた上、7人掛の座席に5人しか腰掛けていない状況を目撃した。
普段ならあまり座らない私も、ここは天の恵みとばかりに腰掛けさせてもらったのだ。
ここまではむしろ幸運と言うべきだろう。
やがてもう一人座り、7人掛の座席は丁度7人座る本来あるべき格好になった。
人私人人人人人
こうなると、結構窮屈である。
やがて終点が近づき、その手前の駅で多くの人が降り、私の腰掛ける7人掛の座席は4人となった。
人私人 ・ ・ ・ 人
普通、少しずれるだろ。
人 ・ 私 ・ 人 ・ 人
↑これが望ましい形だ。
だが実際は
人私人 ・ ・ ・ 人
これがまだ
女私女 ・ ・ ・ 人
なら文句は言うまい。むしろ、これまた天の恵みと己の幸運を喜ぶべきだろう。
だが実際は
男私男 ・ ・ ・ 人
しかもオッサン。
オッサンの私がオッサンと言うのだから相当オッサンだ。
男私男 ・ ・ ・ 人
私は自分自身に問い続けた。
いくら不景気だからとはいえ、
何故オッサンと肩寄せ合って暮らしていかねばならんのかと。
今にして思えば、私が席を立てばよかったのだ。
だがその時は疲れていてそんな思考は浮かんでこなかった。
ただひたすらオッサンと肩寄せ合って座っていたのだ。
思考力すら奪った疲労は、その後、私に幻覚まで見させることになる。
この不幸な出来事の後、私はいつものように電車を乗り継いだ。
乗り継いだ電車内では特段変わったことはなかった。
降りるべき駅が近づき、誰もがそうするように、私はドアの前に立った。
皆さんはこんな経験はないだろうか。
電車を降りようとドアの前に立っていると、ホームで電車を待つ人の真正面に停車してしまい、思わず目が合ってしまった、というようなことが。
普通、ホームで電車を待つ場所は、降車する乗客を優先させるため、ドアが来るべき位置から左右どちらかにずれている。そのため、本来なら電車待ちの客と乗客とが真正面で目が合うことはない。
無法地帯の大阪はともかく、少なくとも整列乗車を原則とする関東では基本的にあり得ない。
あるとすれば、待つ者が正しい位置で待たなかったか、電車が正確に停車できなかった時である。
この時はどちらが理由だったかは分からない。
だが私はその状態に陥ったのだ。
ホームにいるオッサンと真正面で目が合ってしまったのだ。
そして、あろうことか、私と目が合ったオッサンは、ラジオ体操をしていたのだ。
正確にはラジオはなかったのでただの体操だが、明らかに体操をしているのだ。
私は、幻覚ではないかと我が目を疑った。
間違いなく体操をしている。
「こんな奴とは関わりたくない」と体操するオヤジを避けるように電車を降りたのだが、
そのオヤジ
電車に乗らねえんだよ。
そのまま体操続けてんの。
なんだよ。なんなんだよ。
春先ならまだしも、サンマの美味しい季節ですよ。イワシはすっかり高級魚ですよ。
そして私は何事もなかったように帰路につくのでした。